読めないソースコード

表題の詳細については id:NAgiler さんの 一冊の本のようなソフトウェア という日記ですばらしい文章を書かれているので参照して欲しい。私も多いに同感だ。

私は以前からよろしくないソースコードを「読めない」と表現していた。「分からない」のではなく「読めない」である。「分からない」ソースコードに出会った場合は自分が無知であることを実感し「分かる」ために調べたり考えたりする。しかし、「読めない」ソースコードに出会ってしまうとたまらなく悲しくなってしまう。悲しくなるのと同時に怒りもこみ上げる。「なぜ」という問いが頭を駆け巡る。「なぜこんなコードがかけるのだろう」「なぜ平気なのだろう」「なぜもっと丁寧に書かないのだろう」。。。

今日もそんなソースコードに出会ってしまった。非常に落胆して怒りがこみ上げくる。思わずその人にメールを投げようとしている自分がいる。その瞬間の感情にまかせた内容だ。はたと手が止まり内容を確かめる。この内容を送信してはいけない。私はその人のバックグラウンドを知らない。今までどんなことをやってきたのかや、どういう気持ちでプログラムを書いているのかを全く知らない。深呼吸をしてメールの内容を全て書き換えた。

明日またゆっくり話しをしよう。